伝説的経営者に学ぶ ー会社が急成長するロックフェラー式「黄金の習慣」ー

ただの集団 Advent Calendar 2020 の21日目の記事です。

今回は、

会社が急成長するロックフェラー式「黄金の習慣」

を読み、個人的に重要だと感じた箇所を要約してみました。

早速明日から活かせそうなことが多いので、是非参考にしていただけたら嬉しいです。

 

-------------以下要約--------------

 

  • 優れた企業を育てるのは優れた子供を育てるのと一緒

 

    • いくつかの規則を設ける
    • それを繰り返し言い聞かせる
    • 規則にしたがって行動を貫く(規則は多すぎないう方が望ましい)

 

 

  • ビジネスを成功に導く三つの習慣

 

    • 優先目標
      • 一年、および四半期の5つの優先目標と最優先目標を明確にしているか?そして全ての社員が会社の優先目標に即した個人の目標を持っているか?
    • データ
      • 日単位および週単位で、会社の業績や市場の動向を把握できるデータを収集しているか?また、社員ひとりひとりの働きぶりを何らかの数字に表しているか?
    • リズム
      • 定時の会議(毎日、毎週、毎月、毎四半期、毎年)というリズムによって、意思の統一を図ると共に責任の自覚を促しているか?能率的で、有益な会議を開いているか?

 

 

  • 「命運を分ける数字を把握する」

 

    • 組織を整えたり、システムを改めたりするそもそもの目的は、先を予想できるようにするため。常に命運を分ける数字を全社員が意識し浸透させることが肝要。また常に計算して命運を分ける数字を把握しておくことが現状を知るための第一歩となる。

 

 

  • 「社員を一つにまとめる5つの優先目標」

 

    • 多くの超成長企業で実践していることは、四半期毎に優先事項、五項目以内、を設定して、尚且つその中で最も優先される事柄をひとつ定めるという方法。それぞれ5つの優先目標、最優先目標とよぶ。
    • 四半期毎に設けた5つの優先目標と八項目の基本的価値とをラミネートカードに記して社員に持たせるなどの方法がある

 

 

  • 「リズムを生み出す会議を開く」

 

    • 実際に四半期目標を実現する上では情報をリズムよく全員に伝えて各自が責任を持って自分の役割を果たせるようにすることが重要となる。
    • 中でも簡単かつ効果的な方法の一つはミニ会議を毎日開くというやり方。毎日15分ほどグループ単位で集まって、現状を確認しあう。その際に、達成できた小目標があれば簡単にお祝いをして、上手く進んでいない点があればその原因を突き止める。ロックフェラーはこのような会議のリズムを19年間毎日保ち続けることによってスタンダード石油を築いた。

 

 

  • 「企業の成長を阻む三つの成長の壁」

 

    • リーダーシップ
      • 幹部の能力によって会社は左右される。会社の強さも弱さも元を辿れば全て、幹部。上手く連携を取れているか、経営手腕はあるか、相互に尊敬し合っているかなど、に起因する。とりわけ必要となる幹部の資質は先を読む能力と、適切な人材に仕事を任せる能力の二つ。先を読む能力は競争相手や社員よりも一歩先の未来が見えていれば良い。
      • 仕事を任せて失敗しないためには何よりもまず適切な人材を選ぶこと。並の人間を3人集めるよりも優秀な人間を1人選ぶ。そして以下の4段階をふむ。
  1. 何を任せられるかを具体的に見極める
  2. 任せた業務の進捗状況を把握するため、監督体制を整える
  3. 監督結果を本人にフィードバックする
  4. 適宜、報奨を行う。
    • システムと組織
      • 組織整備は以下で説明する組織表を手掛かりに取り組むと良い。
      • 一つ目は責任者一覧を示す組織表。業務が滞ったり、組織内の連携が悪かったりするのは、往々にして、責任者が明確になっていない時。この責任者一覧表においては、全ての業務および損益計算書の全ての項目にてそれぞれ1人の責任者をおく。また、責任者一覧表において注意が必要なことは一切「未定」の欄を作らないこと。暫定的な責任者でも構わないので全ての欄に誰か1人の名前を書き入れる。
      • 二つ目は業務の流れを示す組織表。責任者一覧表だけでは組織内の相互関係を全て把握できないので主要な流れを表にまとめると良い。
    • 市場
      • 成長段階に応じて重点を置くべき点が異なる
      • スタートアップや収益100万ドル以下の企業なら、収益を増やすことが先決であるので、顧客獲得に重点的に取り組む。収益が100万ドルから1000万ドルの段階であれば収益を増やすことに加えて資金をどう確保するかが重要となる。一般的に企業はこの段階に最も急速に成長する。成長を持続にしにくくなるのは収益1000万ドルを超えてから。他社から競争相手として警戒され始めると共に顧客からは商品やサービスに対する値下げ圧力をうける。また組織の複雑化で収益の増加以上にコストが膨らむ。この段階では高付加価値の追求によって値下げを妨げられるかどうか、そして、組織の効率化によってコストの増大を抑えられるかどうかが事業運営の成否を分ける。収益5000万ドルを超えてからは正確に利益予想を立てられる経験と市場での地位とが必要となる。

 

 

  • 経営は以下の三点を確認することから始まる。

 

  1. 適切な人材を得ているか?
  2. 「正しいこと」を行っているか?
  3. それらを「正しく」行っているか?

 

 

  • 「優秀な幹部クラスの人材を探す方法」

 

    • 求人とは数のゲームであることを理解することが大切。
    • 優れた人材を獲得している会社を見てみるとたいてい応募者数が多く、応募者全体のレベルが高い。
    • 一般に一次選考で50名の優秀な応募者が必要。
    • 1人の優秀な人材を見つけたら、その人物のネットワークを頼りにすると良い。
    • まず自社に雇いたいと思う人物を知っていそうな人物の中から明日にでも電子メールで連絡を取れる者10名の名前を書き出す。そして必要としている人材とポストの種類を短い文章にまとめる。完成後、一人ひとりに電話をかけてメールを送りたい旨を伝える。1週間後にふさわしい人物を知っているかどうかを尋ねる。求人活動で大切なことは自社とそのビジョンを本気で売り込むこと
    • 選考の際に第一に見極める点はその人物が社風に合うかどうか。有能だとしても会社の基本的価値にそぐわないなら落とさざるを得ない。
    • 次に重要な点は前向きな考えからの持ち主であるかどうか。その他、実際の問題処理能力も試すべき。

 

 

  • 「正しいことを正しくやる」

 

    • 「正しいこと」の核となる問は「私の会社では存立可能な経済基盤を有しているか?今のやり方で金を儲けられるか?」ということ。顧客を引きつける商品やサービスがあるか?他社との差異化を図れるXファクターを持っているか?その分野でナンバーワンになれるか?
    • 「正しく」の核となる問は「経営慣行や管理形態に競争力は備わっているか?組織の規律は保たれているか?社員の力を十分に引き出せる組織構造になっているか?商品やサービス滞りなく提供する仕組みが整っているか?」
    • 「正しいこと」で求められるのは判断力のある強力なリーダーシップ
    • 「正しく」で求められるのは組織の規律や機能を保つ管理能力

 

 

  • 競争力を保つためには、以下の3つが必要

 

  1. 企業戦略を明確化するフレームワーク(枠組み作り)
  2. 戦略について話す時の社内共通の言葉
  3. フレームワークや言葉を頼りに常に戦略の達成状況を掴んでおく習慣

 

 

  • 戦略立案ピラミッドは実用的かつ印象的な表現で戦略を言葉に落としたツール

 

  1. 基本的価値:するべきこと、永久不変
  2. 目的:なぜ、リーダーの在任期間
  3. ターゲット(中期目標):どこへ、3〜5年毎
  4. ゴール(年間目標):何を、年ごと
  5. アクション(四半期目標):どのように、四半期ごと
  6. 段取り:いつ、週ごと
  7. 担当責任者:誰が、日ごと

  ※1から上にピラミッドを作成

 

 

  • 基本的価値

 

    • 繰り返し同じことを言い続けて基本的価値を浸透させることが何よりも大事
    • 大事なのはどのような基本的価値を持っているかではなく、基本的価値を持っていること
    • 一番苦労するのは、繰り返し言って聞かせられるか、一貫してその価値を守れるか、ということ
    • 基本的価値を根付かせることができる8つの方法
  1. 会社のエピソードを面白く話す(基本的価値に因んだエピソードを話す)
  2. 求人と採用(基本的価値を基準とした採用)
  3. 新人研修(基本的価値を前提とした研修)
  4. 業績評価(基本的価値を基準にした評価)
  5. 表彰と報奨(基本的価値を基準とした表彰)
  6. 社内報(基本的価値を実践している人の紹介)
  7. テーマ(四半期や1年ごとの目標との関連付け)
  8. 日常業務の中で何かの判断を下す時に基本的価値と関連付け

 

 

  • 優先目標

 

    • 5つの優先目標と最優先目標のための環境整備
      • 会社の5つの優先目標、最優先目標が決まったのち、幹部1人1人に各自の5つの優先目標と最優先目標を決めさせる。さらにそのしたの上層部の社員から末端の社員まで行うことでまとまりを産む
      • 5つの優先目標と最優先目標を見極める作業は苦しくなければ嘘。苦もなくできた場合は本当にその優先目標が適切なのかを疑った方がいい。現実を直視して初めて会社の弱点が見えてくる。その弱点を克服することこそ、正しい最優先目標である

 

 

  • 四半期ごとのテーマ

 

    • 優先目標と命運を分ける数字を元にテーマを決める
    • テーマは数値目標と結びついてこそ役に立つ物となる
      • 進捗状況を可視化し成績をつける
      • 報奨とお祝いで喜びを分かち合う
      • 四半期のテーマを成功させるには、何よりも社員の心に訴えなくてはいけない。社員の心を動かせて初めて、大きな成功も可能になる。

 

 

  • 問題解決のための6つの注意事項

 

  1. 重要度
    • その問題は本当に気に掛けるべきことか?重要度の高い問題か?

      2. 具体性

    • 誰が、何を、いつ、どこで、どのように、なぜ

      3. 根元を断つ

    • 症状の緩和ではなく、病気そのものの治療を行う

      4. 誰、ではなく、何、に目を向ける

    • 問題点を探すのであって、犯人を探すのではない

      5. 関係者全員を集める

    • 10人に1人ずつ話を聞くよりも、10人を同じ部屋に集めて話を聞く方が問題の全体像を掴みやすい

      6. 陰口の禁止

    • 本人のいないところでは、否定的な発言は一切控えなくてはいけない

 

 

  • 会議を正しく開く会社が成功する

 

    • リズムのある会社は、いずれは成功を収める
      • 会議を一定の間隔できちんと開いている会社がいずれは成功を収める
      • 成長のスピードを増すにつれて、会議の頻度を増やすということ
      • 大きな会議で決めた目標の実現には、小さな会議による後押しが欠かせない。
      • 幹部は毎日、毎週、顔を揃えて、戦略や懸念事項について話し合う必要がある。
      • 会社の成長に合わせて、会議のリズムは早くするべき
      • 急成長企業は5分ないしは10分程度の会議を何らかの単位集団ごとに毎日開いて全社員がいずれかの会議に必ず参加するようにすべき
    • 会議を実りある物にするコツ
      • 時間:少し変則的な開始時刻にすると良い。例えば毎日午前8時8分開始など。また会議への参加はいかなる理由があろうとも絶対とし、終了時刻も厳格に守る。
      • 場所:座ったまま行うのはまずい。立ったままか、軽く腰掛ける程度にして短時間で会議を切り上げられるようにする
      • 出席者:多ければ多いほど良い、が原則。
      • 会議の進行役:真面目で段取りの上手な人間に任せる。
      • 議題:取り上げる議題は、その日の出来事、成績、突き当たっている壁、の3点に限定する。最初の5分で各自が出来事の報告を行う。持ち時間は最長で30秒。次に出席者全員で指標の確認を行う。最後に突き当たっている壁。ここで不安や苦心を口にすることが重要。また2日続けて壁を報告しない物がいたらその人は真剣に仕事をしていない可能性が高いため詳細あな調査が必要となる
    • 毎週の会議のやり方
      • 毎週の会議では、問題を討議して、戦略を探ることに重点がおかれる。毎日の会議で問題を整理していないと毎週の会議では混乱をきたしてしまうため注意が必要
      • アジェンダ
        • 最初に明るい話題(5〜10分)
        • 数字(5〜10分)
        • 問題点の抽出(10分)
        • 一つの問題絞って討議(10〜30分)
        • 結びのコメント:最後に1人一言ずつ会議の感想を述べる時間を設ける
    • 毎月の会議は戦略立案の場
      • 中層部以上の管理職を全て召集する。意思の統一を図り、幹部育成の機会とする。

 

 

  • ブランドの約束(自社のセールスポイント発見)

 

    • 大目標を描く
      • 社運を賭けた大胆な目標を設定する。十年、二十年後の目標を指す。 
      • 例えば、ナイキの当初目標は「アディダスを打ち破る」。スターバックスは「コカコーラを凌ぐブランドになる」
      • 大目標はブランドの約束を考える上での土台となる。
    • 参入領域を決める
      • 今後三年から五年にどこまで会社を大きくしたいかを明確にする。どういう顧客に商品やサービスを売っていきたいか?あえて相手にしなくて良い顧客はいるか?
      • 最後に何種類の商品やサービスを手掛けられるのか検討する。
    • 顧客のニーズを見極める
      • 参入領域が決まったら、顧客が何を一番必要としているかを見極める。何を欲しているのかではない点に注意する。どうしてもなくてはならない物を見つけることが肝要。 
    • 測定できる約束にする
      • たやすく果たせる約束では意味がない。多少きつい約束にするべき。
      • ブランドの約束は広告文ではない。顧客の信頼を得るために何をすべきを考えることが本質にある。
    • ブランドの約束は企業の命運を分ける重要な物。あらゆる戦略決定の基準にもなる。

伝説的経営者に学ぶ(本田宗一郎編)

ただの集団 Advent Calendar 2019 の6日目の記事です。

今回は、本田宗一郎(本田技研創業者)の自叙伝を要約し、感想を書きました。

 

【まとめ】

  • 本田宗一郎の父は鍛冶屋を営んでおり、鉄を打つということを見るのは日常茶飯事であった。
  • 幼少期から読み書きが苦手であったものの、理科だけは好きだった。特に機械いじりが好きでその授業だけ出ていた。
  • 当時戦争真っ只中であり、ちょうど自動車が普及し始めた時代。車が好きで将来はなんとしても車いじりに携わりたいと思っていた。
  • 小学校卒業と同時に車いじりに早急に携わりたいとの思いから自動車修理工場の求人に手紙を書いて頼み込んだ。それが東京にあるアート商会という会社。
  • 願いが聞き入れられ、単身上京して住み込みで働いた。しかし最初は社長の子どもお守りや掃除、洗濯という仕事だけであり、何度も逃げ出しそうになったものの、「この時間は将来のための布石である」と信じ続けて耐え忍んだ。
  • 半年後、ようやく社長の信頼を勝ち取り始め自動車修理を任せてもらえるようになった。その後、しばらくアート商会で修行した後、22歳でのれん分けしてもらい、アート商会浜松支社の社長となる。
  • 創業当初は自分の身一つ、あとは修行の身の若者1人という状況で始め、若いことで見下され、あまり仕事が来ることがなかったものの、他社が修理できなかったことができたと評判が拡がり徐々に業績が向上してきた。創業初年度で利益80円(現在の価格で11万程度)という結果を出した。
  • 独立後、業績目標を生涯の間に1,000円(現在の価格で150万程度)稼ぎ出すことと定めて目標に向かって働きまくった。その過程で車輪のスポークに目を付けた。当時は全て木製であったが、それを鋳物製にして特許を取り博覧会に出品したところ、多くの注目を集めることができた。この結果多くの仕事が舞い込み始め、生涯1,000円と掲げていた目標はいつの間にか月間1,000円を軽々と超え、わずか数年程度で実現してしまった。また工員も50人ほどに増えた。
  • そのうち会社は業績を拡大するとともに、自社の工員が独立して修理工場を始めることが増えていった。それに伴って修理工場から商売を変更することを決めた。理由は独立した工員と争いたくなかったから。重役陣とは大いにもめたが、なんとか押し切って商売の変更を決めた。
  • 新たに始めたのはピストンリングの製造・販売。株式会社トヨタにおろすピストンリングを製造した。徐々に精度を向上させようやくトヨタに納品できるまでの商品になったものの戦争終結に伴ってピストンリングの需要が突然終了。終戦とともに株を売り払いピストンリングの製造を止めた。
  • そこで次に目を付けた商売がオートバイの販売。終戦後、日本は道路が整備されておらず、大まかな移動手段はバスであったが、どこも混雑を極めていた。そんな状況から個人の移動はもっぱら自転車であったが、荷物の運搬を考えると大変な労働となっていたことに不便さを感じ、打ち捨てられていたエンジンを修理して自転車に取り付けた、エンジン付き自転車を開発した。
  • エンジン付き自転車は瞬く間に評判となり、あっという間に月に1,000台を売るまでに拡大。周りからは「燃料の無い時代にこれ以上オートバイなど売れない」と批判の声が多かったが、「ガソリンの無い時代だからこそ少ない燃料で動くオートバイが必要になる」と信じエンジンの製造、オートバイの販売にまい進したことが見事に当たった。
  • その後、単に自転車にエンジンを取り付けただけのオートバイではなく、本格的に二輪車を作りたいとの思いから二輪自動車を作成。初代が「ドリーム号」
  • 本田宗一郎は、モノを作る上で技術者として天才的であったものの、販売についてはあまり得意ではなかった。オートバイは売れる一方で不安定な世相から、モノだけ持って代金は払わない業者も多くいた。そこで、資金回収や販売を改善するために販売が得意な人材を紹介してもらった。
  • 本田宗一郎は自分の家や自分への給料、報酬は二の次で何よりも従業員を大事にした。会社が苦しい時は家や自分には一銭もお金を入れず、全て従業員の給料に回していた。
  • 本田宗一郎の考えとして、性格の違った人間と付き合えないようでは社会人として値打ちがないということ。人材は広く求めるべきで、自分勝手に経営をしているようでは企業は伸びない。会社を立派に維持、発展しうる人材であれば外国人であったとしても社長を譲りたい、という考え。
  • 本格的な二輪自動車は評判も良かったものの、当時としては高価であったものの、大衆に受け入れられる状況ではなかった。そこで新たに開発したのが、カブ号。
  • 本田宗一郎のモノ作りに対する信念は「良品の国境なし」。当時、技術力が発展途上であった日本は輸入制限や輸出の強化を政府頼みにする企業も多かったが、本田はその状況に嫌気を感じていた。良いモノであれば輸出も増えるし誰も外国製のモノを輸入しようと思わないはずである。技術を高め、世界一性能の良いエンジンを開発して輸入を防ぎ、輸出をはかろうと考えていた。
  • 日本はこのままでは技術で世界に取り残されてしまう。世界一のエンジンを作るには相応に良い機械を使うことが求められる。良い技術を活かすために海外で最も性能の良い工作機械を多額の借金をおこなった上で輸入した。
  • 世界一のエンジンでオートバイを作ることを決意して、英国で開催されていたTTレースへの参戦を表明。理由は2つ。このレースで勝てなければ世界のオートバイ市場で勝つことはできないから。もう一つは敗戦直後の日本に勇気を与えるため。初出場は6着、そして翌年優秀という快挙を成し遂げた。
  • その後、アメリカに拠点を立てて更なる海外からの輸出伸長を目指した。海外での商売に関する信念が、必ず現地の人を雇って商売を成立させること。アメリカに行ってアメリカ人に現地水準の給料を払えないようじゃ成功はできない。日本から派遣する従業員は最小限にとどめて現地採用を積極的に行った。その土地にどっしりと腰を下ろして商売を行うことこそが、最もオーソドックスな商売成功法であると考えている。
  • また海外におけるモノ作りに関して大事にしていることは、思想の元に技術があるということ。利用者の好み、体格、規則も異なるので、その土地の思想に合わせて技術を活用する。そしてその土地の人たちを富ます方法を考えて臨むことが必要不可欠。
  • ホンダは順調に成功してきたように感じられると思うが、研究の99%は失敗。偶然成功した1%で今のホンダがあるのである。
  • 技術を大事にしているため、研究所を別会社として独立させたが、ホンダの売上の3%をもらってその費用で研究し代わりに青写真を売るという体制を取っている。そして、もし研究所のミス(青写真が的外れ)でホンダが損をするようなことがあればその責任は全て研究所がとる仕組みとなっている。この点が博士養成を自慢している他の研究所とは異なる部分である。
  • ホンダは理論尊重の気風が会社にしみわたっている。例えば、設立から10周年経ったからといって記念式を行うことはない。記念する以上は何か1つでも世間の役に立った時に記念すべきである、という意見が社内からも出てくるような気風である。
  • 本田宗一郎が常々考えていることは、従業員は全員経営者であるということ。従業員は全員経営に参加する義務と権利を有している。苦しい時こそ全社員にはっきりと実情と今後の対策を明示して一丸となって困難を克服することが真の労使一体である。
  • 会社経営の根本は平等にある。学閥、派閥、あらゆる閥は不要で会社経営のガンになりやすい。

 

【自叙伝を読んで】

  • 読んでみて感じたことは、圧倒的な信念、技術に裏打ちされた自信、先見の明、そして自己犠牲の精神と決断力。
  • 稲盛和夫にも共通していることをいくつも感じ、成功している経営者は誰よりも未来を予測し、そして自分が勝ちうる最善の策をやり切ることで最後に成功を掴んでいる。
  • どんなに反対されようとも、自分が信じた道をリスクを負ってでも決断し、導く力が圧倒的で、単に技術力があって天才というだけではないと感じた。

伝説的経営者に学ぶ(稲盛和夫編)

ただの集団 Advent Calendar 2018の15日目です。

 稲盛和夫(京セラ、KDDI創業者)の自叙伝を読んだ中で刺さった場面を切り取って纏めました。

  • 大事なのは心の持ち方。才能や技術、学力は二の次で如何に常に心を持てるのかどうか
  • 人生は心に描いた通りになる
  • 小学校の頃はガキ大将。小学校の教訓は、「人が言ったことをそのまま信用してはならない。言葉そのものに意味があるのではなく、発する人の人格によるのだ。そんな哲学的なことを当時から考えていた。
  • 幼少時に読んだ本が心のありようを教えてくれた。「われわれの心のうちにそれを引き寄せる磁石があって、周囲から剣でもピストルでも災難でも病気でも失業でも引き寄せてしまう」そこから逃げよう逃げようとする心が災いを呼び込み、逆に覚悟を決めて心を保てば災いは寄ってはこない。
  • 父が紙の製造事業を行っていた。高校の際に始めたのが紙袋の行商。自ら自転車で鹿児島中の菓子店に売り込んで同業者が撤退したほど繁盛させた。原価や採算をほとんど考えていなかったため、ち密に計算して値付けしていれば収益はずっと違ったはずでこの経験が事業の原点。
  • 勉強はやればできるタイプで、最初は真ん中くらいであったものの専念して学年で3番目まで駆け上がった。そのうち中途半端が嫌になり、98点でも満足できなくなった。100点とらなければできたことにはならないという考えが芽生えた。
  • 「俺は頭が悪いんだから人の二倍は努力する、人が二倍勉強したところは五倍勉強する」が口癖。
  • 大学は新設の鹿児島大学に進学。当時は就職難で求人も少ないため、有機化学の大手企業は旧帝大の学生であっても厳しいほどの難関で当然受からずに全滅。教授のつてで名もない無機化学の会社に入るために卒業まで半年のところであわてて無機化学に関する研究を開始して論文をまとめた。その論文がとある教授の目に留まり「東大生より素晴らしい」と大絶賛を受け、その教授は人生の心の師となっていった。
  • 新卒で就職した会社は銀行管理で創業者一家が内輪もめの状態。さらには給料も遅配する等の経営状況で周囲からの評判は最悪の会社だった。寮もボロく食堂もない、金もないので毎日お湯に味噌と天かすを入れただけの味噌汁をおかずにしていた。転職をしようとしたがわずか半年で転職活動をすることに兄が情けなさを感じていることに自分を恥じた。進退窮まったところで吹っ切れて徹底的に研究に没頭することを決意した結果、成果が出始めた。
  • 先輩社員から学ぶことが多くよく観察していた。先輩社員がやっていたことに対してその時は分からなくとも、自分が思考錯誤を繰り返した結果始めて気付くことが多く、その時に経験則と理論が噛み合ってくる。素晴らしい技術開発はものづくりはこの繰り返しであり、先輩の後姿は経験の大切を教えてくれた。
  • 入社二年目で成果を認められ、新設した課を取り仕切ることに。十分な設備がなく汚れ仕事が多かったが、毎晩のように疲弊した社員を集めては「なぜ一生懸命働かなければならないのか」を話しかけた。大事なことは「今、自分がやっていることはどのように部品に繋がっていくのかを理解すること、そしてそれが東大でも京大でもできないチャレンジであること、それが世の中に素晴らしい製品として送り出される結果に繋がること」
  • それまで自分の能力を信じて開発を任せてくれていた部長が飛ばされた外部からきた部長に開発の任を解かれる憂き目にあったことで退社を決意。慕ってくれていた部下や自分を信じて任せてくれていた元部長を同志として起業を決意。このとき27歳。掲げた目標は世界一。やるからには目標はデカければデカいほどいい。
  • 創業当社はその日を生きるのに必死。青写真や戦略があったわけではないが、それでも「今に世界一」と言い続けた。「今は貧弱でも、志はどこまでも高くあれ。」
  • 今日一日一生懸命に生きれば明日は自然に見えてくる。明日を一生懸命に生きれば一週間が見えてくる。今月一生懸命に生きれば来年が見えてくる。その瞬間瞬間を全力で生きることが大切なんだ。
  • 経営1年目は見事に黒字化。しかし2年目に若手社員から待遇面で要求を突き付けられる。その際に感じたことが「会社経営のベーシックな目的は、将来に渡って従業員やその家族の生活を守り、みんなの幸せを目指していくことでなければならない」こと。
  • 掲げた経営理念は「全従業員の物心両面の幸福を追求する」「人類、社会の進歩発展に貢献すること」。この時、京都セラミックは自分の理想実現を目指すだけでなく、全従業員の幸福を目指す会社となり、人生観のなかで大きな位置を占めることになった。
  • 経営方針は、他社でできないことを実現すること。他ができることをやっていても信頼のある会社に発注が行ってしまうので、他社が断ったことを「やります」の一言で請け負った。
  • 最初は皆が無理だと思っていたが、この結果は全社員に「ネバーギブアップ」の精神を植え付けた。
  • 東京の大手はアメリカから技術導入しているケースが大半で掛け合ってくれないことも多かった。そこでアメリカのメーカーに先に使ってもらうことでアメリカで評価を高める方針を取った。
  • アメリカには悲壮の決意で出張した。「アメリカには会社の貴重なお金を遣ってきた。仕事もそこそこに観光や遊びに興じるなど考えられない。寸暇を惜しんで仕事をこなし、一日も早く日本に戻る。」
  • 創業5年で当時28名であった従業員は150名へと成長。それに伴って心配になってきたことが開拓者としての熱意を失い、普通の会社へとなってしまうこと。そこで思い当たったことが「全員が経営者になること」。全体を工程別、製品群別にいくつかの小さな組織に分けてそれぞれが小さな中小企業のように経営を任され、独立採算で運営を行うこと。
  • 説いたことは「思いやりの心、利他の心」の重要性。自分さえ良ければ、という考えになると足の引っ張り合いが始まり会社が内部崩壊に向かってしまう。正々堂々と競い合って経営は真の意味で成功する。
  • 利他の哲学に立脚すると、好業績をあげてもすぐに給料に反映されるということではない。立派な業績を上げるということは、それだけみんなのために貢献したということであり素晴らしい業績を上げた方に与えられるのは「名誉と誇り」である。ここから生まれる仲間からの感謝や称賛こそ人間が得られる最高の報酬である。
  • 社員の心を1つにしようと頻繁に開いたのが「コンパ」。この時ばかりは上司も部下も関係なく全員が心を裸にして率直に意見を出し合って議論を行えるようにした。本社でもどこの工場でもコンパ用の和室をしつらえていつでもひざを突き合わせてコミュニケーションが取れるようにした。コンパは心と心が結ばれる格好の場である。
  • 創業8年目、34歳で京セラの社長に就任。そこで工場を1億円かけて増設しIBMからの大口受注も実現。IBMの規格は今までに類を見ないほど厳しいものであったがこの創業以来最大のチャレンジを正月やお盆も全て返上して乗り越えた。
  • 海外で買収したサンディエゴの工場では、半年で買収額を上回る累積赤字を計上した。原因は人のマネジメント。日米で働き方に大きな差がありそれまでの京セラ流の働き方が現地人に受け入れられなかった。「アメリカの技術者は一般の技術者と間違っても仕事をせずに指示を出すだけ」「従業員ははかどっていなくとも必ず定時あがり」という状況で経営が安定稼働しなかった。この危機を乗り越えたのは送り込まれた5人の日本人技術者。雨の日も風の日も雪の日も休日でさえも返上で早朝から深夜まで一心不乱に働き京セラ流を工場に示し続けたことで徐々に他の従業員も心を入れ替え始めた。お客様のために最高の商品を納期までに実現するために働き続け見事に黒字化を達成した。アメリカ流も日本流もない、そこにあるのは人間流である。
  • 経営者は常にフェアでなければならない。正しいことを正しく貫ける経営者こそが強い。
  • オイルショックであっても常にフェアを貫き、人員整理は一切しなかった。苦しい時こそ皆で耐え、そして正常化した時には皆で分かち合う。
  • 企業の成長と安定を両立させるために事業の多角的展開と世界市場での販売促進における多面的展開を経営方針として打ち出した。多角化は経営者であれば必要なことは誰でも知っているが、力を分散してしまうことで専業のライバルに敗れやすくなってしまうリスクがある。そこでこれまで培ってきたセラミック技術を使って異分野へ進出することを考えた。それがエメラルドの開発。人口宝石をセラミックの力で生み出して最高品質の宝石を安価で売り出して新市場の創出を狙った。最初は天然宝石こそが本物の宝石であり人口の宝石など売れない、という市場評価に窮地に立たされたが、新会社を設立し新たな販売網の確立、展示会を繰り返すことで宝石愛好家から評価を集めて事業を軌道に乗せることに成功した。
  • 自動車などに利用される大型高速旋盤加工機に使用されるセラミック製チップの開発も手掛けた。ドイツのベンツ社に技術者を派遣して技術を習得して日本に展開することで高品質切削工具の代名詞と言われるまでに成長させた。
  • 医療分野にも進出。人工歯根、人工骨の開発を行った。しかし、薬事法を考慮せずに展開したことでマスコミから糾弾され、操業停止処分を受ける。この時に心の師から教えられたことが「神が与えたもうた試練」であるということ。「災難にあうのは過去につくった業が消える時。業が消えるのだから喜ぶべき。それしきのことで業が消えるのであればお祝いをしないといけない」「積みし無量の罪滅ぶ」
  • 創立20周年を迎えた年は京セラにとって転機となる年。海外電卓市場の急激な落ち込みで経営を悪化させた電卓メーカーのトライデント社、サイバネット工業を合併。またカメラ業界の大手であったヤシカも合併した。いずれも知人経由で再建を依頼されて引き受けた合併であり、事業の立て直しは困難を極めたが「引き受ける以上は全て面倒をみる」という信念で全力を尽くし見事に再建させた。またいかに苦しい時にも人員整理だけは行わなかった。こうして守った社員が後に第二電電(後のKDDI)で大いに活躍してくれている。
  • 京セラは良く積極的なM&Aで事業拡大にまい進してきた会社と言われるが、自分から買収を仕掛けたことは一度もない。救済を頼まれ、相手の社員を救ってあげたいという純粋な想いからめぐってきた縁を大切にしただけ。
  • 上場後、思わぬ資産を持つようになったが、「人のため世のために尽くすことが人間として最高の行為」という人生観から稲盛財団を設立し、「京都賞」を創設した。これに伴って今日までは自分を育んでくれた人類及び世界のために恩返しをした。基金は自分が所有していた株と200億円を拠出した。
  • 1982年、電気通信事業の分割・民営化が答申され、参入を決めた。当時の京セラの手持ち資産、1,500億円のうち1,000億円を使った大事業。それまで異常に高かった通信料金を引き下げて新たなページを刻むべくスタート。当時はわずか社員20名。そこから携帯電話に始める移動体通信事業の自由化も決定される。過去の半導体セラミック事業の急速な市場拡大に伴い、将来的に大型の携帯電話が小型化されて国民一人ひとりが持つようになると確信しすぐに参入を決める。使用できる周波数帯の制約から参入できるのは1社であったものの競合。エリアを分けて交渉することになったもののドル箱である首都圏の取り合いに発展。このまま長引くことで迷惑をこうむるのは国民であると考えて譲る決断を下す。負けて勝つ。
  • M&Aは海外企業にも及び、アメリカを代表する電子部品メーカーであるAVX社の買収にも発展する。交渉の際に二度も不利な条件を突き付けられるが、「利他の精神」を貫きどちらも受け入れる。その結果、目に見えない信頼関係が醸成され、日本企業の海外企業買収案件の中で最も成功したケースと言われる成功を収めた。
  • 2000年、解体されるはずであったNTTが解体されずに一強独占状態が継続することに懸念し、対抗するために一度競合してエリアを分け合った会社と合併しKDDIを設立。「小異を捨てて大同につく」競合する会社に一企業の利害を乗り越えて国民のために協力してほしいと要請しKDDIは実現した。
  • 経営不振に陥っていたコピー機メーカーの三田工業を買収支援。京セラミタとして再建を実施。この時新任社長となって立て直しを図ったのが、以前買収支援を行って再建させたバイオネット工業の社員。「善の循環」「情けは人のためにならず」
  • どれだけ得意絶頂の時であっても常に謙虚な心を忘れてはならない。傲慢不遜は自ら衰亡の原因を作る。
  • どんな苦難や逆境に陥ろうとも「恨まず」「嘆かず」「腐らず」「明るくポジティブに」人生を受け止めて素直に努力することが大事。どんな運命が待ち受けていようとも感謝の念を持ち前向きに生きていけば人生は開かれていくものである。